薬定寺は久寿2年(1155年)の創建と伝えられています。
境内には県内最古の石幢が2基あり、永正9年(1512年)の銘があります。

薬定寺は大正8年(1919年)の板荷大火により、堂宇とともに資料も焼失したため、石幢造立の詳細は明らかでは
ありません。しかし、この板荷の地に古くから土豪の存在が考えられ、また近くには壬生氏と
関わりのある八方館、尾根筋には祠が残ることなどから、壬生氏や日光修験などとの関連性も推察されます。

石幢(せきどう)は石塔の一種で、石灯籠に似た形をしています。石灯籠の火袋にあたる
部分(傘の下)は「龕部(がんぶ)」と呼ばれる六角柱となっていて、六面に仏が刻まれている
のが特徴です。これは経典を書き連ねた「幡(ばん)」が起源と言われています。

この石幢は、室町時代後半の栃木県周辺のみに見られる形で、幢身に複数の石材を重ねていることから、
重制石幢と呼ばれます。高さ187cmの安山岩製で、龕部には六面全てに地蔵菩薩を刻んでいます。

石幢の銘文からは、永正9年(1512年)に造立されたことや、死後の冥福を祈るため生前に建てた
供養塔であることがわかります。

この石幢は、重制石幢としては県内最古のもので、ほぼ原型をとどめており、鹿沼市の歴史上
貴重な資料として文化財に指定されました。